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〜沖縄の歴史〜
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美しい海と自然に囲まれた沖縄は、12世紀後半から19世紀後半まで
小さな島国ながら、かつて琉球王国というひとつの国を作っていた。
そして中国、東南アジア、日本、アメリカの影響を受けながら、独自の
歴史を築き、豊かな琉球(沖縄)文化を育んできた。
琉球国は15世紀始めまで、支配者が異なるの3つの国(北山・中山・南山)
がそれぞれ「三山時代」と呼ばれる時代であったが、「尚巴志」がその
国家を統一し「第一尚王統」の時代が始まる。
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「尚巴志」は首里の地に現在の首里城を築き、東南アジアとの交流より紅型、絣、泡盛、空手等の文化が渡来した。
7代の子孫に渡りその文化は受け継がれ、政治・祭事の安定とともに交易国家として、琉球王国繁栄の基礎を築い
ていった。1470年ごろから、徳川300年の時代よりも長い「第二尚王統」が400年以上続くことになる。
「第二尚王統」はその息子「尚真」の時代で黄金期を迎え、琉球国は首里を中心とした「中央集権国家」が
完成する。国府は、中国の制度を取り入れ王を頂点とした身分制度を確立し、身分によって衣服や「ハチマチ」
の色などを定めていった。
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1609年「尚真」が築いた平和な「第二尚王統」が薩摩の侵攻を受ける。
当時の大和(日本)の権力者「足利幕府」や「豊臣秀吉」は独立国である琉球国を、勝手に恩賞として大名に
与えたりしていた。薩摩藩は関ヶ原の戦いの後、徳川幕府から、琉球侵攻の許可を得て、琉球を急襲、琉球国は
侵略・制圧されてしまう。 |
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その後18世紀始め、薩摩の侵攻以来、本土との文化産業
の交流も相まって、琉球独自の芸術分野が輝きを増し、
琉球王国は再び復活を遂げる。琉球王国は、最後の国王と
なる「尚泰」が明治維新で首里城を開城するまでの間、
琉球国独自の文化産業を発展させた。
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沖縄には、今でもそれらの歴史を物語るさまざまな建造物や文化が残っており2000年には、琉球王国のグスク
および関連遺産群として世界遺産に登録され、沖縄のダイナミイクで美しい光景、郷土料理、陶芸、染織ガラス
工芸は歴史によって生まれ、島人によって大切に受け継がれた「島の宝物」である。
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